2年後
今朝は晴れ。
今日はかなり寒い朝で、冷たい風がビュービュー吹き荒れてました。
仕事中、"あの" 時間を通り越しました。
午後2時46分。
忘れもしない2年前。丁度あの時、当時、埼玉県桶川市ののソフトウェア製作会社のトイレで大きいのが出ないなぁと踏ん張っていたのでした。
そしてその時間を迎えてゆっくりと揺れが始まり、まぁ、どうせすぐに収まるだろうと思ってそのまま頑張っていたのですが、いつまで経っても揺れは収まらないばかりか、どんどん大きくなる始末。
あわてて始末してトイレを飛び出し、事務所も恐ろしい揺れでいられず、屋外に飛び出すと、社長の娘の車が地震の揺れで駐車場で飛び跳ねてました。
一旦収まってからもたびたび来る余震にまるで仕事にならず、かといって上司から帰っていいという連絡もなかったので、就業時間までいたのですが、そういえば線路脇なのに電車が通る気配が無い…。
僕のうちは歩いて30分ほどのところだったので問題なかったのですが、同僚が電車で通っていたので電車の状況を調べると動いてないじゃないですか…。
仕方なく、僕が自分のうちから自分の車を持ってきて、2人の同僚を送り届けに出たのはいいのだけど、大渋滞。
牛歩の歩みは深夜になっても変わらず、一人は11時過ぎに送れたものの、もう一人は日付が変わる辺り。そして僕が自分の家に帰りついたのは日付が変わってかなり後のことでした。
結局、ナビは同僚の家を知らないのと、抜け道のためにナビにしっぱなしでTVは見られなかったので、ラジオは点けていたものの、津波の被害のことはその時は殆ど知らず、家でTVを見てからでした。
あの時、すぐに皆が家に帰る決断をしていれば、あんなに遅くまで車で送ってることもなかったんでしょう。
そう。あの時も、今のワゴンRに乗っていたんでした。
未だに自分はあの震災の被災者だとは思ってはいないけれど、あの結果、お客さんが被災して、僕の勤めていた会社の経営がやばくなり、全員解雇になって…。
そして未だに新しい仕事に就けないでいることを考えると、僕の中ではあの戦争(じゃなくて震災)は未だ終わってないと思う次第です。
あの仕事、面白かったんだけど…。
これも運命か…。
などと感慨に浸って臨時職員の仕事を終えて帰ってきて、犬の散歩に行ったのでした。
浅間山のお釜の雪がずいぶん融けたようで黒くなってきました。