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2006年12月10日の記事は以下のとおりです。

お葬式

11時半から始まるお葬式のために10時半に出かけたら、式場で30分以上
待ってしまいました。(^^ゞ
ぎりぎりというのはいただけないけど、早すぎても話をする人がいないので、
かなり手持ち無沙汰でした。

お通夜もお葬式も、故人とはそれ程交流があったわけではないので、
ポーカーフェイスを決め込んでいたのですが、さすがに最後の出棺前の
遺体のそばに花を入れる時点になって、割と付き合いのある故人の
奥さんの故人への語りかけと泣き声に、周りの人たちのすすり泣きが
聞こえて、つい感極まってじわっと来てしまいました。

ポーカーフェイスを保っていられる間は「人の死はもう少しインパクトが
あるものではないのだろうか」と思っていたのですが、それ程付き合いの
無い人の死は、付き合いのある人からの伝染でインパクトがやってくるの
だと改めて感じました。

遺体のそばに花を入れて、この前は大屋さんのおじいちゃんだったっけ、
その前は、家のお袋側のおばあちゃんだった…などと考えていて、
それぞれ、死に顔はもはや生きていた時のその人の顔ではなく、まるで
別人に見えるというのは、もはやそこに命が無いのだと納得させるものが
あります。
まだ人形の方が生きてるんじゃないかという気にもさせられます。

それにしてもお経というのは色んな宗派があるのでしょうが、聴いていると
案外面白いものだと思いました。
漢字の四文字熟語を唱えるような感じになる前に、日本語として成り立つ
ような言葉を和歌を詠むように唱えるところなど、まるで、和尚さんが
自分の美声を聴かせてやってるんだって感じがしないでもありません。(^^ゞ

人の死に立会い、人間は一生を終わるとその魂は残って天国に行けば
その後の時間をずっと楽しんで、地獄に行けば苦しんで過ごすのだろうか、
それとも、死んでしまうと、今まで考えてきた自分の考えなどというのは
霧のように消えて、一切が無になってしまうのだろうかと考えると、
何だかとても不思議な気持ちになります。

そのどちらなのか(あるいは第3の選択があるのか)などが分かると、
生きているということが、もう少し有意義になるのではないだろうかとも
思うのですが、それを知るには
いっぺん死んでみる?(by閻魔あい)
しか無いようで…。

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